為になった江戸言葉

2012年4月 5日 (木)

「江戸っ子」を表した大好きな言葉 no.367 

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no.367

新人をいびらず、
権威にこびず、
人の非をつく時は下を責めず、上をつき、…

かっけぇ…!

この言葉は、以前、no.241で紹介してました。
一度紹介したものは、もう描かない。と思ってましたが、こういう心意気っていうのは、永続してほしいなぁと思うし、大好きな言葉なので、もう一度紹介。

みなさんはどうかわかりませんが、私は、結構「江戸言葉」に救われることが多いので、一人でも「江戸言葉」に救われる人が増えたらいいなと思います^^

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2011年7月12日 (火)

気が楽になる言葉:「夢の浮世をただ狂え」 no.206

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no.206

7月からのTVドラマは、女の子がわけあって男の子のふりをするドラマが3本くらいある。

江戸でいえば(江戸期になるちょっと前くらいか)出雲阿国がそうですね。
男装して歌舞伎踊りをする。これが大ウケした。
それが歌舞伎発祥ともいわれるけれど、宝塚の発祥の方がすっきりしません?いかがでしょう。

で、この出雲阿国の時代って、戦国時代がやっと終わりそうな頃で世直し空気がただよってるわけです。それが、今日の江戸絵の言葉と繋がります。

「夢の浮世を ただ狂へ」

戦国のもうめちゃくちゃな時代に、こんなことを言いながら(歌いながら)踊ったりする。(この言葉は出雲阿国が言ったという文献はありませんが、この言葉と出雲阿国がセットで登場することはあります。)

考えてみれば、自分が生まれる前にも時間は存在していたわけで、死んだ後も時間は存在する。だから、この世(浮世)で生きている時間なんて本当に一瞬にしかすぎない。
生きている「今」が「現実」というよりは、この生きてる一瞬は「夢の浮世」なんだなと最近思うようになった。

「夢の浮世を ただ狂へ」

どうせ夢ならニコニコ生きたい。

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2011年6月20日 (月)

思うこと叶わねばこそ no.188

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no.188

「粋に暮らす言葉」杉浦日向子著

「(本文より)かなわないからおもしろい
江戸を通じて言われていたことに、「思うことかなわねばこそ浮世とは」というのがあります。思うことがかなわないから浮世なんだ。かなわないからおもしろい。かなってしまったら楽しみがなくなってしまうというんですね。」

「(本文より)楽しいことばかり考える
ともあれ、強いてでも気持ちを明るい方向へ向かせましょう。楽しいことばかり考えていると、じきに楽しいことが訪れるといいます。ダイジョーブ、ダイジョーブです。」

先週末はかつての同級生と会った。
それぞれの生き方と、大きな志。いろんな話しをたくさんしたり、羨ましがったり、「あんなこと言わなきゃ良かったな」と落ち込んでみたり。

そういう時にお日向先生の江戸言葉を読む。
「思うことかなわねばこそ浮世とは」「ダイジョーブ、ダイジョーブです。」「人間一生糞袋」「持たない、出世しない、悩まない」「人間一生、物見遊山」

好きだねえ、やっぱり江戸言葉は。お一つヨロシク。

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2011年6月 9日 (木)

「我を張る」頑張るは野暮 no.179

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no.179

「粋に暮らす言葉」杉浦日向子著

(本文より)頑張るは我を張る
江戸では、頑張るは我を張る、無理を通すという否定的な意味合いで、粋じゃなかった。持って生まれた資質を見極め、浮き沈みしながらも、日々を積み重ねていくことが人生だと思っていたようです。」

以前ブログで「江戸には頑張るって言葉があったのか」ということを書きましたが、「頑張るは我を張る」ねえ。なるほど。

この「粋に暮らす言葉」は先月イースト・プレス社から発売されまして、お日向先生の為になる江戸言葉がたくさん凝縮されております。生きて行く上で江戸言葉ってとても為になる。と、私は思います。

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2011年2月 7日 (月)

いい気分になれる江戸言葉「よしづくし」 no89

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no.89

江戸の魅力の一つに、江戸期の約260年という長い間戦争をしなかった。
というのがある。

この長さは、世界史で見ても最長であり、誇るべきものだと思う。

歌川国芳という浮世絵師の「浮き世よしづくし」という絵がある。
「よし」づくしの絵で、「出来がよし」「きげんがよし」「夢でもよし」「仲がよし」…など30以上の「よし」づくしである。

その絵の冒頭に
「人の身の よしあし ばなし よしに して なんでも かでも ずっと よしよし」

とある。「他の人の善し悪し話しは、やめにして、なんでもかんでも、ずっと良し良し」である。

「良し」と捉える事で、他人や自分を許容できる。
なんとも、平和的で前向きで気分がとても良くなる。

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2010年12月11日 (土)

戯作の心 no.45

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no.45

「うつくしく、やさしく、おろかなり 私の惚れた「江戸」杉浦日向子」杉浦日向子著

「(本文より)江戸戯作の嚆矢と目される作者、平賀源内は、人の一生を、「寐れば起き、おきれば寐、喰ふて糞して快美て、死ぬまで活きる命」(『萎陰隠逸伝』)と、情け容赦、アラレもなく、バッサリ一刀の下に、斬り捨てています。
 眠れば夢に遊び、醒めては世知辛い現実に嘆息を繰り返し、にこにこ食べては、しかめ面で排便し、たまの夜には一瞬のはかない極楽を味わい、そんなこんなで、ふと死ぬその日まで、お目出度くも生きているのよ。
 これが、泰平の逸民を自負する、「江戸人」の眼差しです。
 恐ろしくドライな、呆れ返る程、あっけらかんとした、身も蓋もない、ブッチギリの明るい諦感ではありませんか。
 クラクラむせかえる、プワゾン(毒)の香りがします。
 うかうかと、これにハマったらアブナイよ、という危惧から、江戸戯作が、長らく「要注意物件」として封印されていたのかもしれません。
 未来に希望を持たず、さりとて、現実に絶望もせず、あるがままを、ありのまま、丸ごと享受して、すべて世と、命運を共にしようという、図太い肯定の覚悟が、戯作にはあります。」

外に出ると、ばったり知っている人に会うのが、億劫だったりする。
それは、今の自分がどうも不安だったり、自信が無かったりなどの理由からだ。

そういう時に、今日紹介したような江戸人の心意気というものに触れると、とても救われる。もちろん、この戯作の様には100%生きられませんが…その様に生きる為には、「図太い覚悟の肯定」が必要なのである。

この一文良いですね「未来に希望を持たず、さりとて、現実に絶望もせず、あるがままを、ありのまま、丸ごと享受して、すべて世と、命運を共にしようという、図太い肯定の覚悟が、戯作にはあります。」

なかなか、人生肯定的に生きられないことが多いけど、「図太い肯定の覚悟」を頭の隅に入れておきたい。

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2010年11月26日 (金)

消えものに大枚はたく! no.32

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no.32

「お江戸風流さんぽ道」杉浦日向子著

「(本文より)「残るものを買うときは三度考え、消えものには気前よく金を使え」
 
 江戸っ子は、呑み食い代や、歌舞伎や相撲、芝居、旅行など、娯楽に関する「消えもの」には、お金を惜しみません。高値の初鰹にしても、花火のスポンサーにしても、暮らしに必要不可欠なものではないのに、気分を豊かにするためにぽーんと大枚をはたいてしまうのです。火事の多かった江戸では、灰になってしまうかもしれないものよりも、娯楽と飲食という心身への自己投資が、最も理にかなったお金の使い方でした。
 そのかわり、「残るもの」つまり物品の購入は、三度考えて買えと幼少時からしつけられています。店に通って、迷って、そのあいだに売れてしまえば縁がないと諦めます。買ったあとは、そのものの形がなくなるまで修繕を繰り返しとことん使いきります。収入に比してものの値段がとても高価だった江戸では、衝動買いはいさめられるべきことでした。」


これを読んでから、消えものには気前よく金を使うように……少しはなりました。
でも、「残るもの」で一番買うのは本です。江戸の頃は、本も貸本屋が回ってきて、本を借りたんだけどな〜…現在は図書館があるけれど、私が購入する本は、ずっと手元に残しておきたい本なので、良しとします。はい。

どうでもいい話しですが、クレジットカードは怖いので使ってません。お金を払っている実感が薄れるので……現金で買うようにしてます。


※昨日は、ココログのサイトが開けず更新なしでした。けど、まあ続けて更新頑張りたいと思います。

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2010年11月19日 (金)

よい時間 no.28

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no.28

「うつくしく、やさしく、おろかなりー 私の惚れた「江戸」杉浦日向子」 杉浦日向子著

「(本文より)それから、江戸の人たちにとっての時間の感覚が私たちとは大いに異なります。よい時間、悪い時間と時間を区別したときに、私たちにとってのよい時間は、ある点から点の間にどれだけ多くのものが詰め込めるか、つまり効率が時間の善し悪しを測るバロメーターになっているのです。彼らはまったくそういうことは言いません。江戸時代の人が言わなかった口癖の一つは「時間がない」。こういう言葉は江戸の頃にはなかったのです。時間は無尽蔵にある。自分が生まれる前からあったのだし、死んだ後もずっとあるのだと。そういう感覚なのです。時間というのはいくら使っても減らないものだ。いま私たちは本当に時間がない、時間がないというのを手柄のように言っていますが、ずいぶん貧乏くさい価値観だと思います。

 そうして江戸の人たちにとってのよい時間、これは「ああ、おいしかった」とか「ああ、嬉しかった、面白かった」、つまり感動があった時間、何か感じた時間がとてもよい時間として彼らの記憶に残っていくのです。すなわち、何も感じなかった時間というのは止まっているも同然だという考え方がありました。これだけ感性豊かな暮らしぶりができたら本当によいだろうな、それこそ余暇なのではないかなという気がします。」

「時間は無尽蔵にある。自分が生まれる前からあったのだし、死んだ後もずっとあるのだと。そういう感覚なのです。」
という時間の感覚てすごい。言われてみれば、その通りなのですが。

時間は無限にありながら、数値化(時計)されることによって、「時間の有限」を感じてしまうのではなかろうか?何と言ったら良いかわからないが、矛盾のようなものが、生じる。

「嬉しい、面白い、感動した」といったものは、物として残らない。だけれど、気持ち良いものだ。

そんなよい時間を生きてる間にたくさん感じたい。
今日の絵みたいに、友達とおしゃべりしたり、寝たり、ぼけーっとしたい。


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2010年11月 5日 (金)

江戸と自然風景 no.20

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「逝きし世の面影 第十一章 風景とコスモス」渡辺京二著

「(本文より)江戸はパリやローマや、あるいはロンドンやウィーンのような、大廈高楼を連ねた壮麗な都ではなかった。江戸にそういうものを求めた観察者は、残らず深い失望を味わった。江戸の独自性は都市が田園によって浸透されていることにあった。だから欧米人たちは江戸と郊外の境目がわからなかったのである。都市はそれと気づかぬうちに田園に移調しているのだった。しかも重要なのは、そのように内包され、あるいはなだらかに移調する田園が、けっして農村ではなく、あくまで都市のトーンを保っていたという事実だ。オリファントが「文明の様子を失わなかった」と言うのは、そのことを指している。つまり江戸は、けっして「大きな村」なのではなかった。それはあくまで、ユーニークな田園都市だった。田園化された都市であると同時に、都市化された田園だった。それは当時、少なくともヨーロッパにも中国にも、あるいはイスラム圏にも存在しない独特な都市のコンセプトだった。後年、近代化された日本人は、東京を「大きな村」ないし村の集合体として恥じるようになるが、幕末に来訪した欧米人はかえって、この都市コンセプトのユーニークさを正確に認識し、感動をかくさなかったのである。」すなわち、このような特異な都市のありかたこそ、当時の日本が、世界に対して個性あるメッセージを発信する能力をもつ、一個の文明を築きあげていたことの証明なのだった。」

「(本文より)日本人は何と自然を熱愛しているのだろう。何と自然の美を利用することをよく知っているのだろう。安楽で静かで幸福な生活、大それた欲望を持たず、競争もせず、穏やかな感覚と慎しやかな物質的満足感に満ちた生活を何と上手に組み立てることを知っているのだろう」

江戸人口の多さは、世界中の都市から見てもトップであった。
それほどの都市なら、壮大な都を想像するのは無理ないかもしれない。

きっと木造建築は立派でも、風景は田園であったのだろうと、想像される。

江戸の人は自然を愛でる。きっと、ちょっと高台に上れば美しい風景を堪能したに違いない。
今はかなり高いビルの屋上にでも行かないと、一望できないだろう。

それが美しい風景かは、また別の話しである。

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2010年11月 4日 (木)

子供の楽園 no.19

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no.19

「逝きし世の面影 第十章 子どもの楽園」渡辺京二著

「(本文より)スエンソンによれば、日本の子どもは「少し大きくなると外へ出され、遊び友達にまじって朝から晩まで通りで転げまわっている」のだった。」

「(本文より)ブスケもこう書いている。「家々の門前では、庶民の子供たちが羽子板で遊んだりまたはいろいろな形の凧をあげており、馬がそれをこわがるので馬の乗り手には大変迷惑である。親は子供たちを自由にとび回るにまかせているので、通りは子供でごったがえしている。たえず別当が馬の足下で子供を両腕で抱きあげ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」。」

「(本文より)モースは言う。「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」。

「(本文より)父も母も、自分の子に誇りをもっている。毎朝六時ごろ、十二人か十四人の男たちが低い塀に腰を下して、それぞれ自分の腕に二歳にもならぬ子どもを抱いて、かわいがったり、一緒に遊んだり、自分の子どもの体格と知恵を見せびらかしているのを見ていると大変面白い。」

「(本文より)ツェンベリは「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」

「(本文より)彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」。

今回は本文引用数が、多くなったが、なかなか興味深いものばかりである。
当時の日本というのは、子供の天国であったと外国人が言っている。

通りで遊んでいて危ないと、大人が抱きかかえて安全なところへ連れて行き、父母も子供にとても愛情を注ぎ、叱っている所や殴るなどというのは、ほとんど見たことが無いし、父親は朝から自分の子供自慢である。一見、大人が子供を可愛がりすぎて、甘やかしているのではないかと思われる事でも、しつけはしっかりしているので、ある程度の年齢になったら子供を卒業するのであった。

当時は子供が大人に見守られ、子供が子供らしく生きていた。

現代を振り返るとどうだろうか?
よそから来た外国人が、「日本は子供の天国だ。」と、言ってくれるだろうか?

この章は、現代の日本人が忘れ去ってしまった、大人と子供のあり方を教えてくれる貴重な章だと感じる。

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